よこいちの日記

こじらせ私文のひとりごと

人生は様々な物語がある。さて、君はどんな詩を紡ぎ出す?

カピバラって時速50kmで走るらしいですよ。怖。

 

 

 

こんにちは。1つ目の投稿が既に300アクセス以上されていてビビり散らかしているよこいちです。少しでも興味を持ってくれている人がいることに喜びを感じつつ、こんな拙文が読まれまくっていると思うと少し恥ずかしさも感じます。

 

 

 

さて、緊急事態宣言が解除されたものの、多くの高校生は交互登校、大学生はオンライン講義と依然ステイホーム日和なこの頃。外出自粛の始まりに見つけた暇つぶしにも、そろそろ飽きが来た頃ではないでしょうか。ちなみに僕は自粛開始時に1日1回ソーラン節を"ガチで"踊るというルーティンを定めたのですが、もう普通に飽きました。(てか疲れる)

 

 

 

思春期。一生のうち最も多感と言われるこの時期。勉学や趣味に身を注いだり、音楽や美術に熱中したり、文学に傾倒したり。多くの人々が"それ"を通じて、自身の人生観を形作ったり人格に影響を与える"何か"に出会うことと思います。僕の場合は、もちろんそれなりに勉強もしていたのですが、それ以上に映画や舞台・ミュージカルを好んでよく観ていました。中学生の頃、ビデオ屋にはよく通いましたし、ブロードウェイや劇団四季の公演があると聞けば、即チケットを購入して東京まで観に行ってました。

 

 

 

ってことでね(前置きが長い)、せっかくなので今回は僕から皆さんに、是非このステイホーム期間に見ていただきたい映画を1本ご紹介したいと思います。それは、1989年に公開されたロビン・ウィリアムズ主演のアメリカ映画「いまを生きる」です。僕がこの映画を初めて観たのは中学1年生の夏、母に「人生で一度は見たほうが良い映画だ」と渡された作品です。正直、この映画に出逢わせてくれた母には感謝しています。(面と向かっては言いませんが)

 

 

 

では、ネタバレしない程度に解説していきます.

 

 

 

舞台は規律の厳しい全寮制の超エリート高校。高校生の仕事は良い大学に入る事。その為に邪魔なものはすべて切り捨てる的な風潮のある学校。生徒たちは望んでそこへ入ったものもいるし、親から言われるがままに入った者もいる。そんな息苦しい学校に型破りな先生がやってくる。彼の名はキーティング。彼の受け持つ教科は英語(つまりは国語)。主に詩について教えることになるのだが、彼は科書を破り捨てろと言ったり、机の上に立ち上がって物事を見ろと言ったりなど、権威を否定したり既存の価値観に縛られない態度を取っていく。そんな先生に生徒たちは最初は戸惑うも、次第に先生に惹かれていき、やがて"人生とは何か"を考えさせられていく。

 

 

 

こんな感じのストーリーです。笑いながら観れるコメディ映画でも、ヒーローが活躍する映画でもないです。言わば、ある種の同調圧力や社会の規制や抑圧、そういうものに盲目的に縛られている自分自身、そういったことに批判的な目を向けている青春映画と言えます。

 

 

 

また、この映画には多くの詩が登場します。詩は比喩的で奥深く、しかしその短い言葉は元からそこに存在しているかのようにしっくりとそこに収まっているから不思議です。劇中で読み上げられる詩を聞くうちに、自分の普段使われない感情や神経が刺激されていることに気付きます。今まで言葉にできなかった、正解が見つからなかった何かが、柔らかく溶け出していくような感覚に襲われるのです。どんな気分の時に観たとしても、この美しい言葉の数々に、きっと温かい涙が溢れてしまうに違いありません。

 

 

 

僕なりの言葉でこの映画を表すとすれば、「無邪気な反抗と、その結果訪れる決まりきった敗北、それでも捨てきれないささやかな抵抗」です。

 

 

 

"抵抗"や"敗北"の文字の通り、この物語はハッピーエンドではありません。ある悲劇が起きてしまい、クラスはバラバラになりキーティングは学校を追放され、なんとも言えない結末を迎えます。かといってバッドエンドでもない、と僕は思います。ここは観る人の価値観で違ってくるはずです。少なくとも、バッドエンド映画特有の観た後の「なんでこんな物語がわざわざ映画として存在しなくてはならないんだろう」という心がびちゃびちゃになる感覚はありません。あえて言うなら、一言でハッピーともバッドとも言えないもっと深くて大切なことを伝えてくれる映画なのです。

 

 

 

単に「人生楽しんだもん勝ち!」で終わらせない説得力。

 

 

 

Twitterのプロフィールに書いてる人がいたらこの映画を投げつけたい。

 

 

 

それでは!!!Carpe diem!!!

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