よこいちの日記

こじらせ私文のひとりごと

「不変」で「普遍」の愛───劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデン

こんにちは、よこいちです。およそ100日ぶりの更新になってしまいました。お久しぶりです。

 

突然ですがこれを読んでくださっているあなた、最後に手紙を書いたのはいつでしょうか?私の場合は4年前、中学校卒業時に友人達に宛てて書いた手紙でしょうか。少し照れくさいながらも、新鮮な気持ちで筆を進めた覚えがあります。

 

さて、電話に次いでSNSも大いに普及した昨今、手紙という文化が廃れ始めているのは明らかですが、今回はそんな「手紙」をテーマにした映画「劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデン」を観てきました。

 

率直に言います。久々に泣きました。泣きすぎました。甲子園で敗退した球児さながら、声にならない嗚咽を噛み締めるように泣きました。私は元々本作アニメ版のファンなのでかなり期待していたのですが、本映画は遥かにその期待を上回る感動で私の心をブン殴ってくれました。ありがとう京アニ。。。

 

とまぁ、いかに感動したかを書き連ねても文の内容が薄くなってしまうので、今回は本作を観て個人的に強く印象に残った点について書いていきます。また、少なからず内容に触れる部分もあるのでネタバレNGな方はブラウザバック推奨です。

 

 

 

 

本作を一言で表すなら。。。

 

 

 

 

美しい」が絶えない140分間───

 

 

 

ここで言う「美しい」とは京アニ特有の繊細かつ高クオリティなアニメーション作画のことだけでなく、それ以外の「美しさ」も内包している。前者に関しては言わずもがな、私が語るまでもなく誰もが理解しているだろう。なのでここでは「それ以外」について述べていく。

 

本作では2つの時代にてストーリーが同時進行していく。ひとつはヴァイオレットらが暮らす時代。自動手記人形として活躍しているヴァイオレット、そしてとある島で新たな人生を歩み始めていたギルベルトの物語。もうひとつは未来。TVアニメ10話に登場したアン(亡き母親からの手紙が毎年誕生日に届けられた少女)の孫が主人公となる時代。こちらでは電話や教育の発展によって自動手記人形という存在が完全に廃れてしまっている。

 

詳細は伏せるが、この2つの物語が合わさることで結末を迎えるという構成。片方の時代ではヴァイオレットとギルベルトが現在進行形で成長、奮闘しており、その結果としての功績が未来で形になっていると。

 

この構成の美しさたるや。。。

 

自動手記人形は時代の流れによって消えてしまい、郵便局も失われる。けれどヴァイオレットが代筆した手紙はその孫の世代まで受け継がれ、未来にて再び人の心を動かす。決して消えはしない。なんだこれ美しすぎるだろ!!!

 

そして次にヴァイオレットとギルベルトの再会。ここでは決してご都合主義的に二人が再会するわけではなく、あくまで彼女の書いた「手紙」が彼の気持ちを思い起こさせるという胸アツ展開。これは物語のテーマにしっかり沿っているだけでなく、二人の愛の物語を、より純度の高いロマンスに押し上げているように感じた。(ラストのカットも素晴らしかった)

 

当の再会シーンにおいては、京アニ本気の神作画に加え、彼らが思わずお互い言葉に詰まって言い淀む間(ま)の表現や声優陣の迫真すぎる演技が見事に組み合わさることによって、凄まじいリアルが、ありありとした生々しさがあった。やはり声優って凄いんだなと。あそこまで感情を乗せて演じれるのかと。間違いなく瞬間最高速だった。日本のアニメーションの神髄を目の当たりにしたといっても過言ではないだろう。本作を観た人となら、それを無言の頷きで“理解り”合えると確信している。

 

あのシーンの美しさたるや。。。

 

 そして特に高度な美しさだなと印象に残ったのは、少年ユリスの最期。死に際の彼を親友のリュカと心繋いでくれたのは、電話だった。手紙の衰退への追い風となるあの「電話」である。彼の想いが死後に手紙という形で家族に伝わる描写はあるものの、あえて描かれたあの電話のシーンには、皮肉めいた美学を感じずにはいられない。

 

また、ひとつ気になった点がある。本作ではやたらとヴァイオレットが身に着けている「赤いリボン」を強調するような描写がなされている。実際に観た人には伝わると思うが、本当にやたらと彼女のリボンにカメラが寄っているカットが多様されているのだ。

 

これは何か意図があるなと思い少し考えを巡らせたところ、ひとつの推論に辿り着いた。

 

 

 

 

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つまりはこういうこと。

 

「自身が身につけているリボンと同じ色のボタンで留められた手紙→ヴァイオレットの一部が手紙を留めている→ヴァイオレットの想いが手紙に込められている」という一種のメタファであると。やたらリボンをアップに映したり、わざわざディートフリート大佐にリボンを届けさせる描写がされていたのは、このメタファのヒントを我々に見せてくれていたのだな、と。

 

このメタファの美しさたるや。。。

 

 

 

 

とまぁ、長々と書いてきたわけですけれども、あとひとつ、どうしても触れなければならないことがあるんですよね。

 

それは本作のキャッチコピーとしてポスターに書かれている愛する人へ贈る、最後の手紙」という言葉、そして公式ホームページに書かれている「かつて自分に愛を教え、与えようとしてくれた、大切な人。会いたくても会えない。永遠に。手を離してしまった、大切な大切な人。」という文章。

 

正直、本作の公開日があの事件で亡くなった方々の月命日であることもあって、やはり思い出さずにはいられませんでした。キャッチコピーがここまで重い映画があるのかと。

 

ヴァイオレットの代筆業。それは誰かが大切な人に伝えたくても伝えられないメッセージを、手紙という形にして届ける仕事。会いたくても会えない人に、想いを届ける仕事。少なからず制作陣の方々も投影していたのかもしれません。

 

 

最後に、本作ですが、誰しもが生きてゆく中で様々な要因によって擦れ、荒み、いつの日か忘れてしまったりする大切な何かを取り戻してくれるような、そんな映画でした。「不変」で「普遍」の愛が、そこにはありました。日本のアニメーションの完成形の一つと呼ぶに相応しい作品だと思います。

 

 

やっぱり「愛」って素晴らしいですね。

 

 


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大きくなった今だからこそ絵本を読んでほしい。

パフェの語源は「パーフェクト」なんですって。確かに完璧な美味しさですもんね。

 

 

こんにちは。課題に追われていてブログの更新までなかなか手が回らないよこいちです。やはり継続とは難しいものですね。ぼちぼち綴っていこうと思います。

 

 

さて、突然ですが皆さん。最後に絵本を読んだのはいつですか?小説でも漫画でも論文でもありません。絵本です。幼い頃、寝る前にお母さんに読み聞かせてもらっていた経験のある人もいらっしゃるのではないでしょうか。

 

 

一見「こどものための本」というイメージが強い絵本ですが、昨今は大人向けに描かれた絵本も多く出版されています。また、こどもの頃に読んだ絵本を大きくなってからもう一度読むと、当時とは違った感想を持つ、なんてこともあるでしょう。

 

 

僕は小さい頃から絵本が好きで、その手軽さや言い表し難いあたたかさに魅入られていました。大掃除をした際に数えたことがあるのですが、どうやら我が家には200冊も絵本があったみたいです。特に気に入っている本はまとめて置いてあり、今もたまに読んでいます。ストーリーを知っていても何故か胸が温かくなるの、シンプルに不思議ですよね。

 

 

そんな流れで(前置きが長い)、今回は皆さんに「大きくなった今だからこそ読んでほしい絵本」をご紹介したいと思います。それは白泉社出版の「つみきのいえ」という絵本です。ざっとあらすじを説明していきます。

 

 

舞台は水没しかけている街。年々水位が増していくため、積み木のように上へ上へと家を増築していかなければなりません。その不便さから、おじいさん以外の住民は全員どこかへ引っ越してしまいます。しかしおじいさんはちっとも寂しそうには見えません。ある日、お爺さんは窓から大工道具を落としてしまい、潜水服を着て探しに行きます。落し物は3つ下の家にありました。その時にふと過去の出来事を思い出します。

 

お婆さんが亡くなった日のこと。

 

お爺さんはさらに下の階へと潜っていきます。最愛のおばあさんとの思い出が詰まった家。下の階へ、下の階へ・・・。たくさんの出来事を回想します。町でカーニバルがあったこと。子供たちが孫を連れて遊びに来たこと。お婆さんが美味しいパイを焼いたこと・・・。心の奥に仕舞われていたものが次々と溢れ出ていき・・・

 

 

と、心の中に積み重なった思い出たちを、つみきのいえと共におじいさんが少しずつ思い出していくストーリーです。海の底に沈んでもその人がいなくなっても、一緒に過ごしたかけがえのない日々は決して消えることはないよ、と。まぁ、限りなく大人向けの絵本という感じ。

 

 

僕がこの本を読んだのは幼稚園生の頃だったと思います。当時はよく理解らず、お気に入りの絵本ではありませんでしたが、中学校を卒業するタイミングで再び読んだ時、深く感情を揺さぶられたのを覚えています。家とは思い出の時間そのものだったりするんだな、と。

 

 

黄色を基調にした絵も、どこか古い写真を眺めるようなメランコリーな感覚に浸れて良いです。絵と色合いが物語と一体となってポカポカと心を温めてくれる、春の日差しのような絵本です。文章だけじゃなく絵も作品における重要な構成要素として機能しているあたり、絵本って本当に奥が深い芸術だなぁと思います。

 

 

成長し大人に近付いた今だからこそ、あの日に出逢った絵本を再び手に取ってみてはいかがでしょうか。

 

 

それではまた。

 

 

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人生は様々な物語がある。さて、君はどんな詩を紡ぎ出す?

カピバラって時速50kmで走るらしいですよ。怖。

 

 

 

こんにちは。1つ目の投稿が既に300アクセス以上されていてビビり散らかしているよこいちです。少しでも興味を持ってくれている人がいることに喜びを感じつつ、こんな拙文が読まれまくっていると思うと少し恥ずかしさも感じます。

 

 

 

さて、緊急事態宣言が解除されたものの、多くの高校生は交互登校、大学生はオンライン講義と依然ステイホーム日和なこの頃。外出自粛の始まりに見つけた暇つぶしにも、そろそろ飽きが来た頃ではないでしょうか。ちなみに僕は自粛開始時に1日1回ソーラン節を"ガチで"踊るというルーティンを定めたのですが、もう普通に飽きました。(てか疲れる)

 

 

 

思春期。一生のうち最も多感と言われるこの時期。勉学や趣味に身を注いだり、音楽や美術に熱中したり、文学に傾倒したり。多くの人々が"それ"を通じて、自身の人生観を形作ったり人格に影響を与える"何か"に出会うことと思います。僕の場合は、もちろんそれなりに勉強もしていたのですが、それ以上に映画や舞台・ミュージカルを好んでよく観ていました。中学生の頃、ビデオ屋にはよく通いましたし、ブロードウェイや劇団四季の公演があると聞けば、即チケットを購入して東京まで観に行ってました。

 

 

 

ってことでね(前置きが長い)、せっかくなので今回は僕から皆さんに、是非このステイホーム期間に見ていただきたい映画を1本ご紹介したいと思います。それは、1989年に公開されたロビン・ウィリアムズ主演のアメリカ映画「いまを生きる」です。僕がこの映画を初めて観たのは中学1年生の夏、母に「人生で一度は見たほうが良い映画だ」と渡された作品です。正直、この映画に出逢わせてくれた母には感謝しています。(面と向かっては言いませんが)

 

 

 

では、ネタバレしない程度に解説していきます.

 

 

 

舞台は規律の厳しい全寮制の超エリート高校。高校生の仕事は良い大学に入る事。その為に邪魔なものはすべて切り捨てる的な風潮のある学校。生徒たちは望んでそこへ入ったものもいるし、親から言われるがままに入った者もいる。そんな息苦しい学校に型破りな先生がやってくる。彼の名はキーティング。彼の受け持つ教科は英語(つまりは国語)。主に詩について教えることになるのだが、彼は科書を破り捨てろと言ったり、机の上に立ち上がって物事を見ろと言ったりなど、権威を否定したり既存の価値観に縛られない態度を取っていく。そんな先生に生徒たちは最初は戸惑うも、次第に先生に惹かれていき、やがて"人生とは何か"を考えさせられていく。

 

 

 

こんな感じのストーリーです。笑いながら観れるコメディ映画でも、ヒーローが活躍する映画でもないです。言わば、ある種の同調圧力や社会の規制や抑圧、そういうものに盲目的に縛られている自分自身、そういったことに批判的な目を向けている青春映画と言えます。

 

 

 

また、この映画には多くの詩が登場します。詩は比喩的で奥深く、しかしその短い言葉は元からそこに存在しているかのようにしっくりとそこに収まっているから不思議です。劇中で読み上げられる詩を聞くうちに、自分の普段使われない感情や神経が刺激されていることに気付きます。今まで言葉にできなかった、正解が見つからなかった何かが、柔らかく溶け出していくような感覚に襲われるのです。どんな気分の時に観たとしても、この美しい言葉の数々に、きっと温かい涙が溢れてしまうに違いありません。

 

 

 

僕なりの言葉でこの映画を表すとすれば、「無邪気な反抗と、その結果訪れる決まりきった敗北、それでも捨てきれないささやかな抵抗」です。

 

 

 

"抵抗"や"敗北"の文字の通り、この物語はハッピーエンドではありません。ある悲劇が起きてしまい、クラスはバラバラになりキーティングは学校を追放され、なんとも言えない結末を迎えます。かといってバッドエンドでもない、と僕は思います。ここは観る人の価値観で違ってくるはずです。少なくとも、バッドエンド映画特有の観た後の「なんでこんな物語がわざわざ映画として存在しなくてはならないんだろう」という心がびちゃびちゃになる感覚はありません。あえて言うなら、一言でハッピーともバッドとも言えないもっと深くて大切なことを伝えてくれる映画なのです。

 

 

 

単に「人生楽しんだもん勝ち!」で終わらせない説得力。

 

 

 

Twitterのプロフィールに書いてる人がいたらこの映画を投げつけたい。

 

 

 

それでは!!!Carpe diem!!!

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まだサナギって言い聞かせる

「卵」と「玉子」の違いは「料理に使うか使わないか」なんですって。

 

どうも皆さんこんいちは。よこいちです。友人間での空前のブログブームに便乗して、僕もブログを始めてみました。不定期更新になると思いますが、ふと思ったことを言語化するトレーニングの一環として積極的に書き込んでいこうと思っています。拙い文章ですが、成長を見守るぞ~ぐらいの気持ちでたまに覗いてくれると嬉しいです。

 

さて、じゃあまず最初に何を書こうかって話なんですが、ブログを開設するにあたって真っ先にぶち当たる壁って一体何でしょう?

 

開設するプラットフォーム?ブログの名前?背景のレイアウト?

 

確かにそれらも迷う要素ではあるんですが、僕の場合はURLだったんですよ。URLといったらサイトの住所、常に表示されているあたり名札みたいなもんです。どうせだったら名前そのままとかじゃなく、簡潔で見栄えが良くて、尚且つひと含みあるURLにしたいじゃないですか。

 

そこで一考して浮かんだのが、今使用している「chrysaristill」です。パッと見て気付いた方もいると思いますがこれ、「まだ」を意味する「still」と「サナギ」を意味する「chrysaris」をひっくり返して繋げた造語なんです。

 

「なぜひっくり返した?」というツッコミは置いといて、僕がここで言いたいのは「今の自分は自分に保険かけなきゃ生きていけない臆病者だ」ってことです。成人を来年に控えている身、高校卒業後に社会に出て、立派に働いている同級生だって大勢いるわけです。そんな中で親に高い金出してもらって大学に進学した僕ですが、取り立てて優秀な訳でもなく、目立った特技もありません。要するに自分に自信が持てないんです。これを読んでいる人の中にも恐らく同じ心持ちで過ごしている人も少なくないのではないでしょうか。

 

でも、だからって自分を卑下したり自己嫌悪に陥ったら本末転倒ですよね。たくさんの価値観を吸収し学習していける青年期に、年中ブルーでいたら勿体ないですから。

 

そこで「まだサナギだって言い聞かせる」んです。

 

19歳。人によってはもう羽化(明確な将来設定や才能の開花など)しててもおかしくない年齢ですが、少なくとも僕はまだです。前者はまだボンヤリとしていますし、後者に限っては起きないまま生涯を終えるかもしれません。ですが「俺はまだ途中なんだ!力を蓄えているサナギなんだ!」と自分に言い聞かせることで、つらいこともそれなりに頑張っています。それくらいいいじゃないですか。これを読んでいる皆さんも、唐突に自分の将来が不安に思えてきたり、今自分がやってることに意味があるのか疑問に思える瞬間があると思います。そんな時は「だって自分まだサナギだし、今頑張ってるんだし。いつか羽化するし。」と自分に言い聞かせてみてください。きっと気持ちが少しラクになるはずです。

 

騙し騙しだっていいですから、いつか羽ばたくその日のために精一杯生きましょうね~